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(1)3歳になった時、父親の赴任地移動に伴い横浜市内に急遽転居することになった。しかし当時は大の住宅難の時代、市内への転居については住居も容易には見つからなかった状況であっただろう。しばらくは母不二子の実家のあった木村家関係の事を中心に思い出を綴りたい。

 

 

 

 

母不二子は木村龍・カン夫妻の3女として大正14年の年末に横浜の中心地で生まれた。(母の戸籍上の誕生日は大正15年1月2日生。数え年を重視する当時の習慣であろう。)木村家は祖父龍の父・五郎氏が幕末期に横浜で同心(警察関係)をしていたと聞くが、今は残念ながら記憶があいまいである。ともかく純粋のハマっ子の系統は母から受け継いでいる事は確かであり、ハマっ子として大いなる喜びを感じている。

 

母の女学校時代の同級生の一人に、父・芳雄の妹(禿包芳、キヌの長女の三芳叔母さん)がおり、その事が後の両親の結婚につながったと思われる。母は女学校卒業後、地元の横浜銀行で銀行員として勤めた。当時の写真も多く残っており、息子の口から言うのもおこがましいがなかなかの美人であった。後の兄からの話となるが、小学校の学級参観でも兄の周りでその美人ぶりが大きな評判を得たとのことであった。

 

木村龍・カン夫妻の長女(すなわち母不二子の長姉)のゆき子さんのご主人・佐渡友末吉さんが、横浜市の中心(神奈川区富家町)に「神友製作所」という機械部品の製作工場を営んでいた。その工場の片隅に、小さな流しの付いた従業員が休憩をするための小部屋があり(4〜6畳間くらい)、そこに上溝より急遽移ることとなった家族4人がしばらくの間逗留させていただくこととなった。

工場に据え付けられた万力(まんりき)を、時にいたずらして指に血豆をつけた思い出がある。いたずらして申し訳ありませんでした。

 

(2)へ続く

 

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