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(5)より続く。

二つ目、これはすごく重要。

毎週末の土曜日の夜は横浜・野毛への一家外食の日であった。
父が勤め人であったから可能だったのであろうが、これは私達兄弟にとって素晴らしい思い出、「贈り物」であったと今しみじみと思っている。

外食の前には毎回野毛にあった「横浜ニュース映画館」に通った。
両親としてはニュース映画の合間に上映されたディズニー漫画(アニメ)を見せることを考えたのかもしれないが、私自身としてはニュース映画として上映された当時の世界の動きに目を見張った。

今でも強いイメージを残している映像はスターリン死去後のフルシチョフ台頭までのモスクワの暗く寒々しい風景、ナセルの中東戦争、京大隊のマナスル登頂の記録、南極遠征関係、少し後になるが東大隊のイラク発掘調査風景など。
当時(1950年代)の日本や世界で現に進行中の生々しい出来事(正に現代史)に接した。

「ロシアもの」といえばスターリン治下の苛酷状況に生きたショスタコーヴィチや科学者のルイセンコ、オパーリン、映画監督のエイゼンシュタイン等の人生に興味を持たせるきっかけを与えてくれた。
この時の大きな影響は将来の仕事として新聞社の特派員(それも出来ればモスクワ赴任の)になりたいという漠然とした夢を与えた。

ニュース映画鑑賞後はいつものように野毛「泰華櫻(たいかろう)」でワンタンメンを食べた。
「今日はワンタンがいくつ入っているだろう」と兄とワンタンの数を数え合った。だいたい14〜16個であった。
その後市電で六角橋まで戻り、週末に開かれていた夜店を冷やかし、木村家の実家に戻った。

まだ若かった両親にとっても楽しい週末であったろうが、子供達もそれぞれ素晴らしい時間を過ごすことができて大変幸せであった。

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