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1958年4月、髪を切って(坊主頭が強制された)横浜市立原中学校に入学した。

『緑の穂波 霜の道…』と校歌にあるように、原中学は三ツ境小学校よりも更に奥にあり、名前の通り畑の真ん中に位置していた。
ヒネモス通りを通り過ぎて自転車で通学した。

九人制バレーボール部に入部。中学二年生からは写真部にも在籍した。
新しく始まった英語と数学についてはやや苦手意識を持っていたが、社会(歴史、地理)に関しては絶対の自信があった。
幼い時から愛読していた新聞の影響であろう。
当時の政治指導者の顔写真を切り取ってノートに貼ることが趣味の一つであった。
社会科教師の試験問題はほとんど全て事前に予想することができた。
問題作成の楽しみはその後の大学教員生活にもつながっているように思う。

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