プロフィール
かむろひとし
■年齢 68歳
■住んでるところ 東京築地国立がん中央病院(仮住まい)
■好きなたべもの 鰻

禿 仁志(かむろ・ひとし)

略歴
(各時代のエピソードは後段の「自分史」部分で思い出すままに記したい)

1.1947年神奈川県生まれ。横浜市中心部にある小学校(横浜市立浦島小学校。丘の下にある子安の浜は日本全国に散在する浦島太郎伝説の伝承地の一つ。横浜市内でも最も古い小学校の一つ。)入学時は朝番(早番)、昼番(遅番)の2部制で通学。以後常に団塊世代の過密環境の中で過ごす。
「ハマっ子」を自称し、「横浜市歌」を愛唱する。秋山、土井時代よりの大洋ホエールズ(横浜ベイスターズ)の熱烈なファン。

2.神奈川県立希望ヶ丘高校卒業後、東京教育大学文学部史学科史学方法論専攻へ進学。
考古学と民俗学の2コースのうち考古学を専攻し、主に東京湾岸の縄文時代貝塚遺跡の発掘調査に従事。筑波移転を直接の争点として学園封鎖が続き、学部を5年で卒業。

3.同大学大学院進学後、イランでの先史遺跡調査に参加。その後西アジア先史考古学の研究をテーマとし、計3回のイラン遺跡調査に参加。イラン先史土器の編年研究で修士論文を作成。

4.1975年10月より79年9月まで筑波大学歴史・人類学系技官として4年間勤務。退職後東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の研究生として履歴書をつなぎながら、イスラム革命直後のイランやイラク、シリア、トルコ等の西アジアを中心に更に南アジア、東南アジアを含めて数度にわたってアジア各地を長期放浪。経済的に最も困難な時期であったが、人生において最も充実した時期でもあった。
帰国中は東京、横浜において遺跡発掘調査に従事。横浜市帷子峰遺跡遺跡の調査で初めて東海大学考古学専攻生たちと調査を共にし、彼らの調査に対する情熱と技量に感銘を受ける。調査終了後、彼らと共に合宿を重ねつつ大部の調査報告書を作成。

5.1985年4月東海大学文学部史学科考古学専攻非常勤講師。同年夏に東海大学が参加することとなったブルガリアにおける国際共同発掘プロジェクトに参加、初めてブルガリアに赴く。翌1986年4月同専攻に専任助教授として正式に籍を得る。一度切れていた自らの健康保険証を39歳にして再び手にして安堵するとともに、東海大学に対する感謝の念を深める。

6.その後毎年夏に実施されたブルガリアでの発掘調査終了後には主に東欧・バルカン諸国を歩き回る。定職を得て経済的に若干の余裕ができたにもかかわらず、相変わらず長い間に身についた貧乏一人旅の性癖を変えることができず、ヒッチハイクを繰り返し、時に旅を伴にしていただいた上司の先生や院生に辛い体験を強いてしまった。東欧の政治的・経済的大変革の前後に行われたこの時期の過酷な旅も思い出深いものがある。

7.1997年4月より文学部教授、ブルガリア遺跡調査団(正式には「東海大学トラキア発掘調査団」)の団長となる。日本学術振興会による科学研究費の助成を得て2012年夏まで計23次を数えるブルガリア・デャドヴォ遺跡発掘の現地調査を実施する。
2008年ブルガリアで発掘された古代トラキアの黄金違宝を中心とする特別展覧会「よみがえる黄金文明展―ブルガリアに眠る古代トラキアの秘宝―」の監修を行う。

8.2013年3月末に専任教授定年退職を目前にして突然病魔(悪性リンパ腫)に侵される。
東京築地の国立がんセンター中央病院で治療を併行しながら2013年4月より2016年3月まで考古学専攻特任教授。
2016年1月30日「西アジア新石器時代の儀礼を考える」と題して最終講義を行い、東海大学における講義を終える。
2016年2月末より長期入院生活に入る。2016年6月17日同種造血幹細胞移植を受ける。以降長期にわたる闘病生活を過ごす。
2016年4月より東海大学名誉教授。